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えん和ビジネスの始まり①

2015年の10月5日に株式会社えん和が誕生しました。 その時、企業理念として『私たちは生涯現役社会の実現と寝たきりゼロを目指し人生の豊かさに貢献します』を掲げました。今回はそのことについて私の考えをまとめてみたいと思います。

”寝たきりゼロ”というのは私の身近にあることの問題意識であり、寝たきりだけはなりたくないという私自身の願望であり叫びでもあります。 私の母は100歳を目前にして亡くなりましたが、最後の数年は寝たきり状態となり 施設でお世話になりながら亡くなりました。私は何度もその施設を見舞う中で沢山の老人たちと出会いましたが、その光景は今でも忘れられません。 私が母を訪問して皆さんがいる部屋に入るとその場にいる皆さんが、私のことをジーと見ていますが誰一人笑顔が無いのです。そしてお互いの会話がありません。中には訳のわからないことを叫んでいる人もいましたが、誰も相手にしていません。そして、その部屋から勝手に外出ができないように鍵がかけられていました。 この施設に長くいればいるほど機能が低下し、肉体的には生き延びることはできても精神や心の機能は失われてまさに人間性は無くなってしまうのです。 それぞれの家庭ごとに事情があり、やむを得ないこととはいえ人間らしさを感じられない施設が終の住処というのは非常に残念でならないというのが私の率直な実感でした。今にして母には申し訳ないことをしたと痛感しています。  さて”夜と霧”の作者であり精神科医のビクトール・フランクルはアウシュビッツ強制収用所をを生き延びた一人です。アウシュビッツには110万人のユダヤ人が収容されていましたが、最終的に第二次世界大戦が終わり、約200人が解放されました。その中にフランクルがいました。その後、彼は」生き残った人たちには共通してある特徴があったと報告しています。それは”最後まで夢を捨てない人たち”つまり、ただ生き伸びるだけでなく目標を抱いて生きた人たちです。

 あるパン屋さんは『この戦争が終わったら、目抜き通りでベーカリーを再開し、焼きたてのパンの香りを町中に広げて町中の人々を喜ばせるんだ。だから俺はこんな所にいる場合じゃない』と考えた。 またあるピアニストは『世界中をリサイタルして周り、世界中の人を癒したいんで。だからこんな所にいるばあじゃない』と考えていました。

つまり、塀の向こう側に目的を見出している人たちは生き残り、ただ生きたいだけの人たちは亡くなったというのです。生きるか死ぬかを分ける重要な基準は、目的を持っているか否かにあった訳です。 私たちが掲げる”生涯現役社会の実現”とは、ただ単に一生働き続けるという意味ではありません。しいていえば”自分は何のために生きるのか?”という人間の根本的問いを追求しているのです。

 今年のNHK大河ドラマ”青天を衝け”の中で渋沢栄一がよく口走る『この国を変えたい』ということでもいいし『家を引っ越したい』ということでもいいのです。 なんでも死ぬまで目標を持って生きるということの大切さを考えていきたいのです。


その結果として”私は幸せ”という実感があれば最高です。 幸せの条件は決してお金だけではありません。豊かな人間関係は重要な要素です。特に夫婦、家族、知人、友人との関係性は人生の豊かさには決して欠くことができません。えん和ビジネスを通じて、少しでも”人生の豊かさに貢献する”ことができたら私としては本望です。


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